こんにちは、やちこです。
本日は、わたしがエグゼクティブカウンセラーになった訳をお話いたします。
重たい話がでてきますので、途中で不快になってしまった方は、スグにブラウザバックしてくださいね!
産まれたのは政治家と投資家の家
わたしが産まれたのは関東。
政治家と投資家の家系で、親戚一同個性的で変わってはいましたが割と裕福な家柄でした。
家には錦鯉が泳ぐ池と藤棚があって、大好きな祖父とそれを眺めるのが好きでした。
母方の先祖は奈良に古墳があり家系図もある、先祖代々続く古い家系です。
産まれたときから選挙、選挙で大勢の大人ばかりに囲まれていたので、子供の輪には馴染めませんでした。
自分は「大人でちゅ」と思っていたので、初めての家出は2歳。
そのくせ、すべり台を滑れるようになるまで3年かかりました。
逆上がりは未だにできません。(頑固で大胆なくせに、繊細でビビり。)
とにかく厄介な子供でした。
ただ誰に対しても物怖じしないのは、こういった生育環境があったからだと思います。
好奇心旺盛なのと、一度決めたらブレないところは、双方の祖父譲りです。
友人と母の死、父の病気を乗り越えて
社会人になってすぐ、友人が亡くなりました。
みんなで楽しく過ごした次の日、急に高熱が出て病院に運ばれ、彼はそのまま亡くなりました。
診断は急性心不全でした。突然のことで本当にショックでした。今でも震えます。
友人の死から程なくして実母にガンが見つかりました。
壮絶な痛みに耐えていましたが、治療の甲斐もなく母も亡くなりました。
母が亡くなったショックで父は心筋梗塞になり、そこから脳血管性の若年性認知症を発症し15年近く経つ現在も闘病しています。
介護はわたしたち兄弟で対応するしかありませんでした。
わたしは友人や母の死や父の病気から、「人の人生」をより深く考えるようになりました。
「人はなぜ生きて、なぜ死ぬのか」
「なぜ悩むのか」
「なぜ苦しむのか」
「なぜ楽に生きる人と、そうでない人がいるのか」
「なぜ報われないのか」
「人生は簡単ではない」ことを学ぶ
わたしは友人が亡くなってから、仕事の傍らカウンセリングを学んできました。
母のガンや父の認知症に直面し、予防医学(ホリスティック医学)やマッサージの手技も学びました。
そして海外から取り寄せたメディカルアロマを使い、東京広尾でホリスティックサロンを開業しました。
介護のために、自分の時間を自由に調整したかったからです。
しかし数カ月が経った頃、急に両手が動かなくなり、検査の結果(国の指定難病53)
”シェーグレン症候群” と診断されサロンを閉じざるを得なくなりました。
そこで気づいた事は、「人生は簡単ではない」という事。
簡単にクリアできる魔法はないし、自分の人生は自分で責任を持たなければいけない。
キツくて辛いけど、でもきっと
「悩んで、悩んで、それでも生き抜く。それ自体に意味がある」のだろうと。
いろいろ挫折しましたが、わたしは働くことだけはやめませんでした。
とても悩みましたが、治療と仕事と介護をジャグリングしました。
(助けてくれた弟には、一生あたまが上がりません)
わたしにとって仕事はアイデンティティ(自分は自分であると自覚すること)だったのです。
雨が降らなければ、虹は見えない
自身の健康を取り戻し、いつかまた起業できるように、
それまでもう一度秘書としてトップマネジメントの傍で働き支えることに徹しました。
自分も経営者のとき、事業の悩み、お金の悩み、傷つくコメント、スタッフの裏切、病気、家族の介護、さまざまな出来事に直面し、とてつもなく心細かったのです。
わたしは秘書や経営経験から「エグゼクティブ心理カウンセラー」という働き方で、
トップマネジメントの方々を支える生き方を選びました。
世界を変えられる可能性のある人を支えたい。
そういった熱い思いがあります。
人生は、つまるところ「自分」と「神(のような大きな存在)」との間でおきていること。
(レ・ミゼラブル)
人知れず行った崇高な行動も、薄汚い行いも、「ご自身」が一番最初に目にし、すべてを知っているのです。
悩みは日々生まれ、日常の一部になりますが、
専門家のサポートにより悩みの答えを最短ルートで導き出せれば
「その人にとって納得のいく正解」を、正確に見つけられるのです。
アメリカのことわざには、
「人生には3人の友が必要である。医者と弁護士と、”カウンセラー” 」
というものがあります。
そのくらい人生で大切な友が、カウンセラーなのです。
長いお話になりましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。
では、また次回のブログをお楽しみに!
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